1人の船乗りから始まった軌道
100余年前のある日のこと。
1人の日本人船乗りが異国の地で、
美しいガラスの器に巡り逢いました。
この偶然の出逢いが、必然の軌道を生み出したのです。
SUZUTAKE Profile
会社情報
社名 | 株式会社鈴竹 |
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設立 | 1932年 |
資本金 | 1,000万円 |
業務内容 | ガラス容器等、梱包資材の企画製造販売 |
所在地 | 〒136-0071 東京都江東区亀戸4-18-16 |
従業員数 | 12人(2024年1月1日現在) |
電話番号 | 03-3637-2574 |
FAX番号 | 03-3637-6910 |
取引銀行 | 三菱UFJ銀行亀戸北口支店 埼玉りそな銀行東松山支店 みずほ銀行亀戸支店 商工組合中央金庫深川支店 |
グループ会社 | 株式会社ビーテック 青島鈴誠妝器有限公司 |
Message
挨拶
SUZUTAKE History
鈴竹グループの歴史
昭和7年 | 1932年 | 鈴木竹松により、東京都墨田区横川橋4丁目3番に於いて、『鈴木硝子製造』を設立。 |
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昭和16年 | 1941年 | 『東京眼鏡レンズ(株)第2工場』として合同発足する。 |
昭和17年 | 1942年 | 『八洲電波興行株式会社』(本社:香川県高松市宮脇町70番地及び東京工場)を設立。 |
昭和20年 | 1945年 | 『大一硝子工場株式会社』に社名を変更して、一般ガラス容器の製造を開始する。 |
昭和25年 | 1950年 | 東京都江東区大島1-9において、『鈴竹硝子製造所』を設立し、高級化粧品容器の製造を開始する。 |
昭和30年 | 1955年 | 『有限会社鈴竹』と社名変更 |
昭和35年 | 1960年 | 『株式会社鈴竹』と社名変更 |
昭和37年 | 1962年 | 狭山事業所を開設 |
昭和50年 | 1975年 | 溶解炉を、連帯溶解炉方式から、無公害単独式溶解炉を採用し変更する |
昭和55年 | 1980年 | 事業拡張の為、『有限会社スズタケ商事』を開設。鈴木竹敏、社長に就任。 |
昭和57年 | 1982年 | 鈴木竹敏『株式会社鈴竹』の社長に就任。 |
昭和59年 | 1984年 | 関連会社『株式会社ビーテック』を設立。鈴木竹敏社長に就任。 |
昭和61年 | 1986年 | 鈴竹ビル竣工。『株式会社ビーテック東松山工場』竣工。 |
平成5年 | 1993年 | 中国浙江省杭州市莫干山路949号に、 『杭州杭鈴玻璃有限公司』(合弁開業、資本金60万ドル)を設立。 |
平成7年 | 1995年 | 中国浙江省杭州市簫山経済技術開発区欣美路に、『杭州鈴誠妝器有限公司』 (独資、資本金130万ドル)を設立。 |
平成12年 | 2000年 | 中国浙江省杭州市簫山区に、『杭州晶鈴妝器有限公司』(合弁開業、資本金 34万ドル)設立。 |
平成14年 | 2002年 | 『杭州鈴誠妝器有限公司』を増資。資本金400万ドルとなる。 |
平成16年 | 2004年 | 『株式会社ビーテック坂戸工場』開工。事業集約のため狭山事業所を閉鎖。 |
平成17年 | 2005年 | 合弁会社杭州杭鈴玻璃有限公司を独資とし、中国浙江省湖州市徳清に移転。社名を『徳清鈴竹玻璃有限公司』とする。 |
平成18年 | 2006年 | 『株式会社鈴竹』本社を江東区大島をから江東区亀戸に移転。本社工場を東京工場とする。 |
平成19年 | 2007年 | 生産量の拡大に伴い『杭州晶鈴妝器有限公司』を杭州市工業区に移転。 |
平成22年 | 2010年 | 事業拡張の為、『株式会社ビーテック三芳工場』を開設。 |
平成23年 | 2011年 | 山東省青島市黄島『精工玻璃有限公司(日本独資)』を買収。『青島鈴誠粧器有限公司』を設立。 |
平成24年 | 2012年 | 『株式会社鈴竹』 東京工場閉鎖。 |
平成25年 | 2013年 | 国からの移転要請を受け『杭州鈴誠妝器有限公司』を閉鎖。ガラス容器生産拠点を『青島鈴誠粧器有限公司』に集約。 |
平成28年 | 2016年 | 環境規制により『杭州晶鈴妝器有限公司』を閉鎖。『青島鈴誠妝器有公司』の敷地内にて、本格的に加工をスタート。 |
平成30年 | 2018年 | 鈴木竹紀『株式会社鈴竹』の社長に就任。 |
令和元年 | 2019年 | 鈴木竹紀『株式会社ビーテック』の社長に就任。 |